ロータス・ホンダ1987年よりホンダエンジンを搭載、セナのチームメイトに日本人初F1ドライバー中嶋悟が誕生した。この年ロータスはアクティブサスペンションを搭載したが成績が振るわなかった!だがイギリスGPで中嶋が4位に入りトップ4台がホンダエンジンだった。日本初F1も鈴鹿で開催、中嶋が何百回も走ったコースをベルガー・プロスト・マンセル・ピケ・セナが好タイム!予選は11位の中嶋だったが、決勝は6位入賞!・・裏話!当日僕は、ホンダの招待で鈴鹿にいた!6位にウイリアムズ・ホンダ・ピケが走っていたが、前のタイヤのカスがラジエターにつまりオーバーヒートぎみ、スピードを落としたいと無線で連絡、当時のホンダF1総監督桜井さんがそのまま走ってくれ!と言いゴール近くでピケ、リタイヤ!そのまま中嶋が6位に上がった」。計算していたらしい、記念すべき1日たった。